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修行の後の先。

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07 /16 2017
先日、人生二度目となる試斬を行う。

やはり、自分の想像よりも斬る間合いというのは、かなり近い。
自分の間合いは、意識しないと遠くなるので、物打ではなく、切っ先を当てやすい。
故に、右袈裟であっても刃先が止まってしまうことが多かった。

試斬においては技術云々より、なにがなんでも「斬る」という思い切りのよさが一番重要。
あとは先生が言うように「慣れ」だけが上達の秘訣だと思われる。
二回目はさすがに初試斬のときのような感動もなく、自分の斬り下ろしの未熟さを知るだけであった。

初回の方が素直にうまく斬れていたかも・・・
という程度の出来にて終了。

試斬を経験後、ある日の稽古で先生から
「斬ることが目的になっては、いけない」とのお言葉があった。

動画で見かけるような大掛かりな抜刀術は、見方を変えれば単なる「大道芸」のようになってしまう。
何をどう斬るにしても、あくまで正しい刃筋、抜刀姿勢を確認するためのものでなければ
居合道として、本来の意義も薄れてしまう。

先生の話では、見栄えよく、容易く斬るためだけに本来、刀に無用な加工まで、わざわざ施す一派もあると聞く。
何のための試斬かを心得ていないと、面白半分、興味本位の「モノ斬り芸人」になってしまいかねない。

また、試斬の研究でいろんな動画を見ているうち、、町井勲 氏という居合の達人を知ることとなった。
しかし、この方。確かに居合の腕は素晴らしいが、その言動と人格的な面から
個人的に武人としての魅力は感じられず、とても師事したいとは思えない人物であった。
ただ、今の私が、斬ることに対し執着しないでいられるのは、反面教師として町井氏のような存在を知った影響もあり
その点は、大いに感謝すべきところである。

居合稽古の延長に試斬があり、斬ることが目的になってはいけない。
昨今。それをよくよく、胸の内に刻んでおこう、と思った次第である。

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五島 鎧影

「義より上に道はあるなり。これを見付くる事 容易に成りがたし。」
(葉隠 聞書第一)